木津川市
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対応エリア | 木津川市加茂町例幣 |
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料金 | 14,000円 |
対応エリア | 木津川市加茂町北下手 |
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料金 | 13,000円 |
対応エリア | 木津川市吐師 |
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料金 | 13,000円 |
対応エリア | 木津川市加茂町勝風 |
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料金 | 9,000円 |
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木津駅|木津川台駅|棚倉駅|西木津駅|加茂駅|上狛駅
植村モータース
京都府木津川市木津町奈良道22
美笠自動車
〒619-0214京都府木津川市木津八色67-1
(株)アサヒ自動車
〒619-0222京都府木津川市相楽高下33-3
(株)東和
〒619-0204京都府木津川市山城町上狛鶴白4-6
CAR・PROJECT・仁晃
〒619-0205京都府木津川市山城町椿井柳田34
カーショップK’z
〒619-0222京都府木津川市相楽城西79-9
ボディーショップ岩前
京都府木津川市市坂小谷口3
ホンダカーズ木津
〒619-0222京都府木津川市相楽川ノ尻101-1
チャレンジ車検学研木津車検センター
〒619-0222京都府木津川市相楽川ノ尻101-1
藤原オート
〒619-0201京都府木津川市山城町綺田正天80
あけぼの自動車
〒619-1102京都府木津川市加茂町井平尾北置堤7
(有)山城自動車
京都府木津川市山城町綺田浜76-2
オートオカダ
京都府木津川市山城町上狛鈴畑41-2
山田自動車工業
京都府木津川市加茂町岡崎上八反田24-1
(有)吉忠自動車
〒619-1102京都府木津川市加茂町井平尾南置堤23
(有)田嶋モータース
〒619-0214京都府木津川市木津池田22-1
木津川市(きづがわし)は、京都府の南部に位置する市で、京田辺市、相楽郡精華町、和束町、笠置町、綴喜郡井手町、また奈良県奈良市と隣接しています。人口は約8万人で、市の木はサクラ、市の花はコスモスです。市域の中心を木津川が流れ、木津川に沿って形成された平野部と、囲むように広がる山地があります。奈良時代には『平城京』建設に伴い、木津川が木材運搬に使われて、港「木の津」として栄えます。740年には『恭仁京(くにきょう)』が置かれ、4年間と短期間ではありますが、日本の首都となりました。2007年に、京都府相楽郡の木津町、山城町、加茂町の3町が合併し、木津川市が発足します。「木津川」という市名は市の中央部を流れる木津川に由来しています。市内をJR西日本関西本線、片町線、奈良線、また近鉄京都線が通り、『木津駅』が中心駅となっています。また市内には『海住山寺』や『蟹満寺』など日本を代表するようなお寺が鎮座していて、全国から多くの人々が参詣に訪れています。
木津川市山城町綺田に鎮座する、真言宗智山派の寺院が『蟹満寺(かにまんじ)』です。ご本尊はかつて観音菩薩でしたが、現在は『銅造釈迦如来座像』となっています。創建年代は不祥ですが、7世紀末頃と推定されています。江戸時代の1711年に京都市東山の『智積院』の僧・亮範が入寺し再興しました。寺の所在地の「綺田(かばた)」は、古くは「かにはた」、「かむはた」と読まれていて、「蟹幡」「加波多」などと表記されていました。寺名も「加波多寺」などと表記されていましたが、いつからか「蟹満寺」と表記されるようになりました。このころから『今昔物語』に記載される『蟹の恩返し』の伝承と、「蟹満寺」が結び付くようになったとされています。「蟹の恩返し」は娘に命を助けられた蟹が、暴れる蛇を切り裂いて、恩返しをした蟹の話です。蟹を葬り塚を作って、その上に観音堂を置いたのが、「蟹満寺」と言われています。ご本尊の「銅造釈迦如来座像」は像高240㎝で、本来は鍍金が施されていました。飛鳥時代後期、または天平時代に作られた像とされていて、国宝に指定されています。
木津川市が位置する京都府には、個性的な方言が伝わっています。そこで京都府の方言をいくつか紹介していきます。一つ目の方言が「いっちょうら」です。「いっちょうら」には「晴れ着」や「一番いい服」という意味があります。自分が持っている服の中で、最も上等なもの、いわば「勝負服」を「いっちょうら」と言います。「いっちょうら来てどこに行くの?」という京都の言葉には、「そんなにいい服を着て、どこに出かけるの?」という意味があります。次に紹介する京都の方言が「えらしり」です。「えらしり」には、「物事を非常に知っている」「通」という意味があります。「あの人は何でも知っている」という標準語の文章は「あのおひとは、えらしりやね」という京都弁に変換することができます。最後に紹介する京都の方言が「おやかまっさん」には「騒ぎ立てて」とか「やかましくして」という意味があり、「やかましくして、すみません」という意味を含んでいます。そのため「子供が騒いでしまい、すみません」という文章は「子供が騒いで、おやかまっさんでした」になります。
『海住山寺(かいじゅうせんじ)』は木津川市加茂町例幣海住山境外にある真言宗智山派の寺院です。『三上山』の中腹に位置し、かつては『恭仁京』を見下ろせる場所にあったと言います。ご本尊は十一面観音です。735年に聖武天皇の勅願により良弁を開山として、『藤尾山観音寺』と称したのが始まりと言います。聖武天皇が『平城京』の鬼門にあたる、この地に伽藍を建立すれば、『東大寺』の大仏の造立が無事に成就するというお告げを夢の中で受けて、良弁にお寺を立てさせたという伝承があります。1137年に全山が焼失しますが、1208年に貞慶によって中興され、「観音寺」から「補陀洛山海住山寺」に改められました。室町時代には塔頭58ヶ坊を数えるほど隆盛しています。近世まで『興福寺』の末寺でしたが、明治時代以降に真言宗智山派の寺院になっています。鎌倉時代の1214年に建立された『五重塔』は、国宝に指定されています。その他、鎌倉時代に建立された『文殊堂』や、平安時代の作とされ、本堂に安置されている本尊『木造十一面観音立像』は重要文化財に指定されています。